杉並区議会第1回臨時会で補正予算案に反対しました。

1月26日の第1回臨時会で補正予算第11号に反対意見を述べました。

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補正予算第11号に反対の意見を述べます。提出された予算案は、菅政権と小池都知事の誤った政策によってもたらされているコロナウイルス感染拡大の現実をなんら省みず、進行している「人災」の弥縫策にもなりえないからです。

何より、現在の通常国会で審議されている「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の改悪案を絶対に許すことはできません。「入院等に応じなければ刑事罰(懲役刑)」「コロナ受け入れに応じないならば病院名を公表」「時短要請に応じない飲食店に行政罰」、そのすべてが究極の「自己責任」です。

そもそも、コロナ検査入院がしたくても断られてできない状況をつくりだし、放置してきたのは一体誰なのでしょうか? 入院待機・自宅療養が全国で3万人超、東京都だけでも1月24日時点で自宅待機者が8474人、調整中は6073人にのぼっています。

コロナ患者を受け入れてきた病院のほとんどが公立または公的病院です。東京では入院しているコロナ患者の7割が都立・公社病院です。この公的病院や非営利の病院が、日本では全体病院数の2割にまで削減されてきたのです。ある医師は「今の医療崩壊の核心問題は、日本の医療そのものが急性期に対応できないものに変質している」と指摘しています。この上さらに、政府と小池都知事は公的440病院の統廃合と、都立・公社病院の独法化を強行しようとしています。断じて許すことはできません。

政府と小池都知事が変質させてきた日本の医療の現実こそが、コロナウイルス感染拡大の最大の要因です。その責任を居直り、すべてを「自助」「自己責任」とする国や都の姿勢に対し、田中区長はどのようにお考えでしょうか? この両者を批判するポーズをとりながら、実は「いのち」を軽視する同じ立場にあるのが田中区政ではありませんか?

一つに、都立病院の独立行政法人化についてです。杉並保健所長は第3回定例会での一般質問への答弁で「今後の医療環境の変化に迅速かつ柔軟に対応していくための1つの手法であり、都民に対し、高水準で専門性の高い医療を確実に提供できるよう、都の取組を見守ってまいります」と述べました。つまり杉並区としては独立行政法人化を積極的に受け止めているということです。「高水準で専門性の高い医療」とは小池都知事のいう「稼ぐ東京」そのものであり、“医療を金もうけの対象にする”ということです。コロナウイルス感染という状況を前にしてこんなことを進めている小池都知事も、それに反対しない田中区長も同罪と言わざるをえません。

二つに、田中区長の1月11日付『文春オンライン』での、「都知事が『命の選択』の責任をとれ」という主張です。田中区長は取材に対し、次のように述べています。 「人工呼吸器やエクモといった医療資源、これを扱う医療従事者には限りがあります。患者がどっと押し寄せると足りなくなる。その場合には、治癒が期待できる人を優先すべきだ、というのがトリアージの考え方です。『命の選別』に当たるとして反対する人もいます。しかし、きれいごとでは済まない現実が目前に迫っています。戦場や災害現場と同じ状況に陥りつつあるのです。そうした時に『この人から人工呼吸器を外して、あの人に付けないといけない』という判断を現場の医者に押しつけていいのか。そんなことを強いていては、医者が精神的に参ってしまい、医療崩壊の前に『医療人材の崩壊』が起きてしまいます」。 「命の選別」を行政が医療現場に強制することが一体どのような事態をもたらすのでしょうか? トリアージとは、「優先して救うべき命」と「後回しにする命」を判断していくということです。それは必ず「価値のある命」と「価値のない命」を判断していくことにつながります。医療現場では日々「医療は社会保障」という立場で格闘しています。これを破壊するのがトリアージではないでしょうか? コロナウイルスに感染しても入院できず自宅や施設などで死亡した人が全国197人という現実を区長はどうお考えでしょうか?
そして、実際にトリアージで何が起きるかは、石原伸晃衆議院議員を見ればよく分かります。東京で1万人以上のコロナ陽性者が健康保険料を払っているにも関わらず入院すらできない状況の中で、与党国会議員であるというだけでただちに入院できたのです。まさにこれが金目による命の選別です。
 トリアージとは、「重症者を優先して命を救う」とは言いきれないものです。この資本主義社会では、金持ちから優先的に治療を受けられるという厳然たる事実があるからです。だからこそ、都立病院の独立行政法人化を今すぐ中止し、公的医療を拡大し、医療従事者を全面的に支援すべきなのです。医療とは社会保障であり、すべての人が差別なく受けられるべきものなのです。 そもそも、もしも医療現場が「命の選択」をせざるを得ない状況にまで追い詰められているとすれば、その責任はどこにあるのでしょうか?千葉県のある医師は「重症化した患者に、呼吸器をつけられずに亡くなっていく状況に対して、現場では、今は平常時ではない、災害時なのでトリアージするのだと平気で言われています。体制がないならトリアージして生き延びられる人を優先して対応しろっていうことですけど。その線引きが千葉県では65才という年齢になってるみたいですけど!」と告発しています。この厳しい現実を訴える声に真剣に耳を傾けるべきです。 田中区長が唱える「都が命の選択の責任を」の主張こそ、必死にコロナ感染と闘っている都立病院をはじめとした医療従事者、さらには区内の民間病院で格闘する医療従事者すべての思いを踏みにじるものです。

三つに、東京オリンピックについてです。私がこれまでたびたび述べてきた「オリンピック・パラリンピックはただちに中止すべき」という意見に対して、区は一貫して「関連事業について粛々と進める」という回答でした。 しかし、「政府が推進する立場だからそれに従うだけ」という区当局の立場は無責任の極みです。今こそ、ただちにオリンピック・パラリンピックを中止し、「ヒト・モノ・カネ」のすべてをコロナ感染対策(とりわけ医療従事者への支援)に回すべきです。オリンピック選手村だけでも18000人が収容可能なのです。これをただちに開放して、緊急病床として利用すれば、現在入院することすらかなわず自宅待機を強制されている患者さんをすべて受け入れることができます。

結論を述べます。すべての関連予算をコロナ感染症対策、休業補償、生活保障に回すべきです。阿佐ヶ谷などの再開発事業なんてやっている場合ではありません。具体的方策を示さず、ワクチン接種や河北病院でのクラスターへの後追い的な対応でしかない今回の補正予算に反対します。

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